RACOON NEWS
2022.06.29
01:昭和大学 水野克己先生
⺟乳を必要とする超早産・極低出⽣体重の⾚ちゃんに「ドナーミルク(提供された母乳)」を提供する「母乳バンク」をご存知ですか。
今回は、日本で初めて母乳バンクを設立し年間約400人の赤ちゃんに母乳を提供している母乳バンクを立ち上げた、昭和大学 医学部小児科学教室 主任教授 の水野克己先生に、母乳バンクを立ち上げた想いや、これまでの活動についてお話をお聞きました。
昭和大学水野克己先生と弊社代表取締役 千種 康一 (日本財団母乳バンクにて)
Q:母乳バンクで行っていることを教えてください。
超早産・極低出生体重の赤ちゃんの中には、自分の母親から母乳を得ることが出来ない赤ちゃんがいます。母乳がたくさん出る方から母乳をもらい、その小さな赤ちゃんに母乳を提供する仕組みです。
他人の母乳を安全に提供するために、ドナー(母乳提供者)となっていただく方の健康チェック、適性検査をして問題が無いことを確認してからドナー登録していただきます。
母乳を冷凍保存した状態で送っていただき、母乳バンクにて低温殺菌処理をします。その前後には細菌がいないか全数培養検査を行い、適合した母乳を契約している各病院のNICUに送ります。
各病院のNICUで担当医の方が、ドナーミルクが適していると判断した赤ちゃんに母乳を提供します。
母乳バンクの活動についてはこちら(日本母乳バンク協会)
Q:安全に提供することにとても配慮されているんですね。この母乳バンクという仕組みは、水野先生が立ち上げるまでは国内にはなかったんですか?
各病院では取り組んでいたかもしれませんが、一般的に広く提供する、というのは国内で初めての取り組みでした。
Q:水野先生が母乳バンクを立ち上げた当時のことを教えてください。
母乳の研究をし始めた2005年から、海外に母乳バンクがあることは知っていました。そういう仕組みが日本にもあって良いのではないか、という想いをずっと持っていました。
2014年、所属する昭和大学江東豊洲病院内に母乳バンク立ち上げのためのスペースを提供いただく事ができました。三田理化工業様にも協力いただき、低温殺菌機や安全キャビネットなどを設け、昭和大学小児科研究室内に初めて「母乳バンク」を設立しました。
お金もなく、最初は手弁当でスタートしましたが苦労とは感じませんでした。むしろ協力いただける方々がいたおかげで母乳バンクを立ち上げる事ができて私は幸運でした。
Q:その後、場所の移転や費用負担の検討など様々なことがあったと思いますが、母乳バンクを止めようとは思いませんでしたか?
それは一度も思いませんでした。利用してくれる赤ちゃんがいる以上、母乳バンクを止めるという選択肢はありませんでした。
Q:当社のスローガンは「道なきところに、道をつくる」というものですが、水野先生は国内初の母乳バンクの立ち上げという、未だ誰も成し得なかったことを成し遂げられました。まさに「道なきところに道をつくられた」わけですが、その要因はなんですか?
自分の力だとは思っていません。そもそも最初に母乳バンクを立ち上げたのも、何も考えていませんでした。おそらくしっかり計画を立てていれば、母乳バンクを続けるのは大変だ、と思ったはずですが、そんなことも考えず始めていました。きっと、私より前に思いついた方は頭が良かったためにスタート出来なかったのではないでしょうか。
始めてからは様々なタイミングで、多くの方々に助けていただきました。最初の母乳バンク立ち上げの時は三田理化工業様に、そしてピジョン様や日本財団様にご助力いただいて施設が増えました。苦労した、なんて思ったことがありません。自分で道を切り開いてきたのではなく、いろんなご縁があって「開かれた道に、私が導かれて進んでいる」ような状態です。
Q:母乳バンクを立ち上げて、良かったことはありますか。
ドナー(母乳提供者)と、母乳を提供してもらったお母さん、両方から感謝のお手紙をいただけること。ドナーの方には母乳提供による対価をお支払いしていない。むしろ、冷凍や手続きの手間、費用が発生している。それでも、自分が絞ってただ捨てるだけだった母乳が社会の役に立つ、ということに喜びを感じて提供してくれるんです。
赤ちゃんのお母さんからも「母乳バンクがあったおかげで大きくなりました」というお手紙をいただきます。赤ちゃんが大きくなったのは、ご両親やNICUの先生方のおかげなんですが、それでもお礼を言っていただけるんです。
ドナー(母乳提供者)からのお手紙についてお話する水野先生
Q:ピジョン株式会社様が支援し設立された日本橋 母乳バンク、そして本日、場所をご提供いただいた日本財団母乳バンク様と、ここ2年で新たな施設が立ち上がりました。水野先生が取り組まれてきたことが大きな動きとなっています。
自分から積極的に働きかけたのではなく、それぞれの会社、組織の方々がメディアで見ていただいたことが協力いただいたきっかけとなりました。
母乳バンクが社会に必要、とみなさんが考えていただいたお陰でそれぞれのお力で施設を設立いただきました。そのおかげで現在は年間2-3000人ほどに母乳を提供できる体制が出来てきました。
最初に昭和大学江東豊洲病院で母乳バンクを設立してからメディアで取り上げていただく機会が出来、そこから徐々に支援の輪が広がってきました。その方々のお力のお陰で大きくなっているだけで、私が何かしたわけではありません。
Q:現在そして今後、母乳バンクとして取り組まれることはなんですか。
母乳バンクの有効性を示すエビデンスを提供することです。予後、粉ミルクよりもこれくらいメリットがありますよ、と示すことで活用いただける病院が増え、より多くの赤ちゃんに母乳を提供できるようになります。
逆にメリットがなければ母乳バンクを続ける意義はありませんが、世界の多くの国(50カ国以上)で母乳バンクが利用されていることを考えれば、必ずメリットはあります。国民の皆さん、お母さん、NICUで働く方たちが納得してもらえる答えを出せるように研究を続けます。
Q:水野先生が実現したい未来はどのような未来ですか?
すべての小さな赤ちゃんが元気に育ってほしいと思っています。母乳バンクの活動を通じて、小さな赤ちゃんにスポットライトが当りました。メディアでも取り上げていただき、多くの方に知ってもらえ、支援の輪が広がっています。クラウドファンディングで支えていただいた方が1500人もいます。母乳の研究がしたい、と思って医学部を目指す学生も出てきました。これをどんどん大きくして、すべての小さな赤ちゃんが元気に育つ未来になってほしいと願っています。
日本財団母乳バンクのクリーンルーム施設内 ここで母乳の低温殺菌が行われている。
取材後記
終始、母乳バンクの立ち上げはご協力いただいた皆さんのおかげとおっしゃる水野先生でしたが、水野先生の赤ちゃんへの想い、安全な母乳の提供という社会的な意義に共感する方が増えた結果、日本の母乳バンクが立ち上がり、規模が拡大していると感じました。これまで、そしてこれからの小さな赤ちゃんの成長を支える母乳バンクに、三田理化工業はこれからもサポートしていきたいと思います。
母乳バンクを支援するクラウドファンディングはこちらから